ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

一 俳諧の発生と室町時代の俳諧 | 14ものが俳句の特性で、どういう試みが俳句を発展させているかがよく分かる。このことは今日の俳句にとっても大切な指針となろう。和歌と連歌の起源 和歌や連歌の起源は分かっている。もちろん、伝承の世界の話なのであるが、ともかく伝承の上とは言え、いちばん最初の和歌や連歌はこういうものであるということは伝わっているのだ。ところが俳句(俳諧)の場合にはそういう伝承すらない。いかに俳句がいい加か減げんなところから生まれたかがよく分かるだろう。 和歌のいちばん古いのは、素す戔さの嗚おの尊みことの作ったものである。『古こ 事じ記き』に載のっている次のような歌で、古今集の序文にも「素戔嗚尊よりぞ、三み十そ文も字じあまり一ひと文も字じは詠みける」と書かれてある。八や雲くも立たつ出い づ雲も八や重へ垣がき妻つま籠ごみに八重垣作るその八重垣を   素戔嗚尊 盛んに雲が立つ出い ずも雲の八重垣よ、妻を籠もらせるために八重垣を作る、その八重垣よ、という意味だ。八重垣とは幾重にもめぐらせた垣である。素戔嗚尊は天あま照てらす大おお神みかみの弟であるから、神代の人で、その凶暴さによって高たかまの天原はらを追放され、出雲の国で八や岐またの大おろち蛇を退治したあと、須す賀がに宮を作ったときの歌である。つまり、歌は神代からあるのだ。 連歌の発祥は和歌より少し時代が下がるが、それでも立派なものであって、日や まと本 武たけるの