ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

一 俳諧の発生と室町時代の俳諧 | 22だ。これは、月が日本文学の重要な素材として昔から大切にされてきたことを考えると、伝統の破壊とも言うべきものだ。まんまるに出いでても長き春日かな   宗鑑 これはちょっとクイズ的な句だ。まんまるで、しかも長いものは何かという謎である。これは、「春日」という言葉を、「春の太陽」と、「春の一日」という両方の意味に使っているのだ。春の太陽は丸く、春の一日は長いというわけだ。にが??しいつまであらしふきのたう   宗鑑 苦々しいことだ、いつまで嵐が吹いているのだと言っているのだが、「にがにがし」が同時に蕗ふきの薹とうのほろ苦さにもかかっている。そして、嵐が吹きという「ふき」を蕗の薹へつないでいるのだ。風寒し破れ障しやう子じの神かみ無な月づき   宗鑑 神かみ無な月づき(陰暦十月)が来て、障しよう子じが破れているために風が寒いということだが、神無に紙無がひっかけてある。障子が破れていて紙がないから寒いのだ。荒木田守武の作品 次は、荒木田守武である。元日や神代のことも思はるる   守武