ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

二 戦国以後――松永貞徳と貞門俳諧 | 32身を引いているのであり、天上の恋人同士にとっては粋いきな計らいということになろう。皆人の昼寝の種や秋の月   貞徳 この句は分かりやすい。秋の月の美しさに惹ひかれて皆が夜中起きているから、それが昼寝の種となるということだ。古典文学のもっとも大切な素材である月を、昼寝の種と表現したところが滑稽味である。歌いづれ小こ町まち踊りや伊い勢せ踊り   貞徳 貞徳の時代に小町踊りと伊勢踊りとが流行した。踊りとはお盆の行事である。その二つを並べてどちらがよいかと言っているのだが、その踊りの名にある小町と伊勢は、平安時代を代表する女流歌人の名でもある。つまり、この句は、小町踊りと伊勢踊りとどちらが良いかと比べてみることに重ね合わせて、古典文学の中の小町と伊勢のどちらの歌がいいだろうと言っているのだ。冬ごもり虫けらまでもあなかしこ   貞徳「あなかしこ」とは手紙の結びに付ける言葉で、別れの挨あい拶さつである。それに虫の籠もる「穴」を利かせて、冬籠もりのために虫までも「あなかしこ」と別れの挨拶をして、穴に入っていくという意味だ。 貞徳の、こうした俳言をもってする俳諧の自立性の試みは、広く世に受け入れられ、多くの追従者を出した。当時の俳人のすべてが直接間接に貞徳の傘下に入ったと言って良い