ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか
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なぜ芭蕉は至高の俳人なのか
二 戦国以後――松永貞徳と貞門俳諧 | 34を引っかけて、丸い春の太陽が出ているということも言っている。芋も子をうめば三五の月夜哉 山やま本もと西さい武む 仲秋の名月(十五夜)のことを漢詩文などでは三さん五ご夜やという。この仲秋の名月の頃は芋(里芋)が穫れる時期なので、芋を月に供える。したがって、仲秋の名月のことを芋名月と言ったりする。里芋は親芋の側方に子芋をたくさん生む。そのことを踏まえて、この句は、芋名月のときは里芋が子供を生むから、三五(産後)の月と言うのだなと言っているのだ。めづらしや二四八条のほととぎす 北村季吟 これは、西八条で時ほととぎす鳥を聞いて珍しいことだと言っているのだが、「二四が八」という掛け算を踏まえて、西八条を二四八条と表記している。雪の朝二の字二の字の下駄のあと 田でん 捨すて女じよ この句は見み立たての面白さだ。雪の朝は辺り一面が雪化粧をしていて美しい光景が出来上がるが、そこに下駄の跡がついているのだ。風雅な雪景色に下駄の跡を詠み込むのは、それだけでも雪月花を大切にする日本文学の伝統に逆らった面白さだが、それが「二の字、二の字」であるというのはいかにも卑俗な表現で滑稽味がある。しかも、本当に雪の朝はこうだと納得させる描き方でもある。ながめしは野の菊ぎくのくきのはじめ哉 石いし田だ未み得とく