ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

3 | はじめにはじめに 日本人なら誰でも一度は俳句を作った経験があるのではないだろうか。五七五の一七音に想いを籠こめる創作の苦心は、一方からするとなかなか楽しいものであったはずである。そこから俳句に深く入り本格俳人になった人もいれば、定年や子育ての終了などを契機として新たに俳句に志こころざす人もいる。こうした層の広がりをみると、俳句は日本の誇る国民文学になっているとも言えよう。 しかも、日本ばかりでなく外国においても、HAIKUを作る人は増え続け、その数は五〇カ国以上、約三〇種の言語に及んでいるという。HAIKUというのは今や完全に国際語なのである。 そうした世界的な情勢の中で、私たち日本人はどの程度俳句について詳くわしいだろうか。 俳句が連れん歌がの発ほつ句くにまでさかのぼれるとか、代表作者に芭ば蕉しようがいるとか、何となく知ってはいても、漠然とした知識の程度で創作に従事している人が結構多い。俳句が今のような形で最初から存在していたように捉とらえている人もかなり多いのではないだろうか。 しかし、俳句は、決して最初から「今のような形」で生まれたのではない。日本人なら誰でも知っている至高の俳人、松まつ尾お芭蕉にしても、初めから俳句の名人であったわけではないのだ。芭蕉の人生を辿たどってみれば分かるように、たいへんな努力と試行錯誤を繰り返