ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

4した結果、私たちが知っているような名句を作るようになったのである。 そして、芭蕉に至るそれ以前の過程も平へい坦たんなものではない。もともと俳句は蔑視されていたもので、それが次第に文芸としての地位を確立していくにあたっては、多くの人々によって種々の試みが行なわれてきた。さらに、芭蕉亡き後においても、いかにして芭蕉の達成したものを広げ、受け継いでいくかについてさまざまな挑戦が続けられた。こうして、現在私たちが接するような俳句という文芸が発展し、維持されてきたのだ。 したがって、「俳句とは何か」という問いかけに答えようとすると、これら歴史的経過から考えてみなければならない。 もちろん、江戸俳はい諧かいの後も、近代俳人によって、俳句の枠を広げ、表現を深める試みは続けられている。しかし、これらは芭蕉の試みたことの延長上においてなされているのである。近代俳句を長い間にわたって指導してきた高たか濱はま?きよ子しは「徳川初期から明治大正の今日に至るまで、多少の盛衰もあり多少の変化もあるにしたところで、要するに俳句は即ち芭蕉の文学であるといって差さし支つかえない」(『俳句はかく解しかく味う』岩波文庫版より引用)と言っている。 つまり、芭蕉への道程と芭蕉の試み、および芭蕉精神の継承ということを、十分に理解することが、俳句そのものを理解するということなのである。近代に入っての種々の試みも確かに興味深いが、今は芭蕉とその周辺を知ることによって、俳句とは何かを知ること