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概要

営業の悪魔

1章 うまくいかなければ使い捨て9手、専務の昆布田だと確信し、航介は笑顔を作って足早に近づいた。「四時のお約束でまいりました、MUGENグループの南原と申します。昆布田様でいらっしゃいますか」航介が名刺を差し出すと、昆布田は手を出さず一いち瞥べつをくれるだけだった。「あんな兄ちゃん、最初に言うとくで。能書きはいらんねんで。ナンボになるんか、条件だけ一発で言うてや」 ─条件。昆布田が言っているのは、これから売り込もうとしているコピー複合機の値引き条件や保守条件を考慮した価格のことであろう。一発提示した価格で契約が決まるなら、営業マンはいらないよな。航介は行き場を失った名刺を手にしたまま、立ちすくんだ。記憶のカメラが、昆布田の顔にズームアップする。黄ばんだ歯。すき間に詰まった歯クソ。土臭い汗の匂いまで思い出されて、ベッドの中の航介はつい息を止める。「そのコピー機、支払いがあと二年残っとるんや。電話してきたネエちゃんには言うたんやで。そしたら、『未払いのリース代金は拾わせていただきます』って言うさかいに、ほんなら営業担当者を寄こしてもかめへんでっちゅう話になったんや」昆布田は壁ぎわの現行機種を指差して、涼しい顔で言った。アポ取りを担当したテレフォンオペレーターの顔が脳裏をよぎり、思わず舌打ちしそうになる。機械を新しくリース契約するならば、これまでの未払い分はきっちりと加算される。さも免除するようなニュアンスで使われては困るのである。