ブックタイトル帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

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概要

帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

31第一章 日本人にとっての神道と海の神「和」の精神が神道と他の宗教の併存を可能にした神道の性質が分かる説明としてしばしば挙げられるのが、日本への仏教伝来である。六世紀半ば、我が国に外来宗教である仏教が入ってきたとき、仏教容認派の蘇そ我が氏と否認派の物もののべ部氏の間で衝突が生じたが、それは決定的な内戦などには発展しなかった。これは八百万の神による神道の寛容性によるものであり、その後どちらも〝国家宗教〟となっていったことを考えれば、特筆すべきことである。そして推すい古こ天皇の摂せつ 政しよう(天皇の統治を補佐する役職)として知られる聖しよう 徳とく太たい子しは、この点で偉大な思想家であった。田た中なか英ひで道みち東北大学名誉教授の表現を借りれば、「各宗教に創始者はいたが、宗教の習合を説き、宗教間の壁を乗り越えて人間のあり方を追求した人は他にいない」(田中英道『日本の歴史 本当は何がすごいのか』育鵬社、二〇一二)。その思想の表われが「和をもって貴しとなす」で知られる「憲法十七条」であり、「和」の精神が神道と他の宗教の併存を可能にしたのである。ここに、「艦内寺院」ではなく「艦内神社」が一般化していった信仰的基礎があるように思える。聖徳太子のもうひとつの事績として、遣けん隋ずい使しの派遣というものがある。日本人にとって