ブックタイトル日米開戦の正体
- ページ
- 46/92
このページは 日米開戦の正体 の電子ブックに掲載されている46ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 日米開戦の正体 の電子ブックに掲載されている46ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
日米開戦の正体
44当時の人々は、真珠湾攻撃に対してどのような立場を取っていたでしょうなぜ米国と戦争するという馬ば鹿かな選択をしたのでしょうか。異論を述べた人はいなかったのでしょうか。いました。しかし、異論を挟はさむことは犠牲の上に行なわれなければならないことでした。それでも、物を申す人はいたのです。一つの例をまず見てみたいと思います。石いし田だ 禮れい助すけは戦争に反対して三井物産社長を辞任しています真珠湾攻撃の決定に何らかの形で関与したのは軍人、政治家、外務省員などですが、当時の三井物産社長の石田禮助も関係しています。彼の経歴を見てみましょう。一九三九年(昭和十四年) 代表取締役社長に就任。一九四一年(昭和十六年) 退社。退社した一九四一年と言えば、真珠湾攻撃の年です。三井物産の社長が何か関係していたのでしょうか。していたのです。城山三郎著『「粗そにして野やだが卑ひではない」』(文春文庫)に次の場面があります。