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概要

日米開戦の正体

45 第一章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?昭和一六年十月十五日。三菱重工業社長・郷ごう古こ潔きよし、三菱商事会長・田た中なか完かん三ぞう、王子製紙社長・高たか島しま菊きく次じ郎ろう、日本鋼管社長・浅あさ野の良りよう三ぞう、第一銀行常務・渋しぶ沢さわ敬けい三ぞうらが、ひそかに工業倶楽部へ集まった。石田自ら電話をかけて、そこへ招集したのである。(略)石田は言った。「なんとかして戦争にならぬようにする道はないかと諸君に相談したく、きょうきてもらった。われわれはこれまでの日米の交渉の経緯を知らぬゆえ、戦争すべしとも、すべからずともいえぬが、戦争をすれば、十中八九負けるということを頭において日米の交渉をしてもらいたい。事情が許すなら、万難を排して戦争にならぬように持っていきたいということを、東条〔=東とう條じよう英ひで機き。当時陸軍大臣〕さんに申しあげたいと思う」全員が賛成し、工業倶楽部理事長の井い坂さか孝たかしに代表して進言してもらうことにしたが、(略)すでに開戦は決定されており(略)代りにそれぞれ個人で運動することになった。浅野が天皇の側近ともいえる木き戸ど幸こう一いちに、石田は海軍大将岡おか田だ啓けい介すけに訴えた。◎石田禮助(いしだれいすけ/一八八六‐一九七八)実業家。東京高等商業学校卒業後、三井物産に入社。ニューヨーク支店長などを歴任し一九三九年、代表取締役社長に就任するが、二年後には日米開戦に反対を表明して退社。戦後の公職追放処分を経て六三年、財界出身者としては異例の国鉄総裁(第五代)となる。無報酬で総裁を務め、国民から支持された。写真提供/毎日新聞社