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概要

日米開戦の正体

47 第一章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?の価値が光ります。軍人で日本を負けると予言した人はいなかったのでしょうか。問題多い人ですが、石いし原はら莞かん爾じ は「負けますな」と述べています軍人で特異な立場に立っていたのが石原莞爾です。「帝国陸軍の異端児」の渾あだ名なされた人です。真珠湾攻撃への道はさまざまな出来事が積み重なってできてきますが、その重大な節目が一九三一年の柳りゆう条じよう湖こ事件です。満まん州しゆうの奉ほう天てん(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖付近で、日本の所有する南満州鉄道(満まん鉄てつ)の線路が爆破された事件です。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表し、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用しました。これを実行したのが日本軍で、その首謀者が関東軍高級参謀板いた垣がき征せい四し郎ろう大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐です。真珠湾攻撃に向かう道の最大の原因は軍人、特に陸軍の横暴です。「陸軍の横暴」の代表的人物が石原莞爾です。ところが、この石原莞爾は、真珠湾攻撃の直前、東條英機などの政策を厳しく非難しています。石原莞爾と、仙台幼年学校、陸軍士官学校、陸大で同期だった横よこ山やま臣しん平ぺい◎板垣征四郎(いたがきせいしろう/一八八五‐一九四八)陸軍軍人。北京公使館付陸軍武官の補佐官から関東軍参謀、奉天特務機関長となり、満州事変を主導。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、師団長を歴任する。一九三八年、第一次近衛内閣に陸相として入閣。支那派遣軍総参謀長なども務めた。東京裁判でA級戦犯に指定され、絞首刑。写真提供/毎日新聞社