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概要

日米開戦の正体

59 第一章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?「南方資源地域のみの攻略を目指して比フイリピン島に手をつけずにおくことは、海軍作戦上不可能なことであった。それは対英蘭戦争は結局は日米戦争を誘起することが必至と認められたからである。したがって開戦と同時に先制攻撃を行ない、米軍の戦力の徹底強化にさきだちてこれを攻略するを有利とした」(同前)この問題を調べていくと海軍内に見解の相違があることが解ります。十月六日陸海軍局部長会議で、岡おか敬たか純ずみ海軍軍務局長も「比島をやらずにやる方法を考えようではないか」と発言しています。しかし、翌七日、杉すぎ山やま元げん・永野修身(軍令部総長)会談で永野は岡海軍軍務局長の発言を取り消しました。この本の冒頭部分で、「国民の歴史でも、個人の経験でも、絶えず起る偶然な出来事が、決定的な働きをしている。例えば、あの命令がなかったならば、とか、あの攻撃がなかったならば」というチャーチルの言葉を見ました。ここでも、岡敬純のような人物が海軍の戦略を決める責任者である軍令部長で、永野修身が海軍軍務局長だったら、展開は変わっていたと見られます。◎及川古志郎(おいかわこしろう/一八八三‐一九五八)海軍軍人。日露戦争に従軍。東宮武官、呉鎮守府参謀長、第一航空戦隊司令長官、第三艦隊司令長官と昇進し、一九三九年に海軍大将。翌年海軍大臣となり三国同盟締結に同意、対英米開戦路線を推進。四四年には軍令部総長に就任しマリアナ、レイテ沖開戦などを指揮。敗戦後の四五年九月、予備役に編入。写真提供/毎日新聞社