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概要

日米開戦の正体

60一九四一年九月七日(「戦争を辞せざる決意の下におおむね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す」と決定した九月六日の御前会議の翌日)、東久邇宮稔彦殿下は東條陸相に米国の術策にはまるだけだと、辞職を求めています東久邇稔彦著『一皇族の戦争日記』は東久邇宮と東條陸相の会談をかなりリアルに記述しています。まず、東久邇宮は東條陸相を呼んで天皇は日米国交調整に御心をそそがれているので、これを真剣に考えてもらいたいと要請します。これに対して東條陸相が、米国は次のことを要求していると述べます。① 日本軍は仏印から撤退すること② 日本軍は支那全土から撤退して支那事変以前の状態に復すること③ 日本は英米に対して支那における門戸開放、機会均等を認めることその上で東條は、しかし、この条件は陸軍大臣として、支那大陸で生命を捧げた尊い英霊に対して絶対に譲ることができないなどを強調します。そして「東條は日米関係につき、はじめはなかなか興奮していたが、し◎東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ/一八八七‐一九九〇)旧皇族、陸軍軍人、政治家。昭和天皇妃(香淳皇后)の叔父。陸軍大学校を卒業しフランスに留学。陸軍航空本部長などを経て一九三三年、陸軍大将となる。日米開戦直前には首相候補に挙がる。敗戦後の四五年八月一七日、初の皇族首相として組閣し、終戦処理に当たった。二年後、皇籍離脱。写真協力/国立国会図書館「近代日本人の肖像」