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概要

日米開戦の正体

65 第一章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?とお答えしながら、しかも『戦争はやらなければならぬと思います』と申し上げている」岡田は「とにかく物資の補給能力の点で、アメリカと戦争などやれるものでないことは、はっきりしていた」(同前)と確信していたので、ここを攻めている〕近衛:午前中政府の説明により、外交交渉の継続はこの上見込みなしと判断するの外なきが、外交交渉決裂するも直ちに戦争に訴ふるを要するや、この儘ままの状態、即ち臥が薪しん嘗しよう胆たんの状態にて推移する中又打開の途を見出すにあらざるかとも思われ、この点はなお後刻当局に質したいと思っております。〔孫崎注:近衛文麿は、東條内閣になる直前の一九四一年十月十八日まで首相〕米内:じり貧を避けんとしてドカ貧にならないように十分のご注意を願いたいと思います。〔孫崎注:米内光政は、一九四〇年一月から七月まで首相。四四年から海軍大臣〕広田:今日は外交上の危機に立てる様に思はるるが、由来外交談判の危機は二度三度繰り返して初めて双方の真意が判るものと思う。今回危機に直面して直に戦争に突入するは如何なりものなりや。〔孫崎注:広田弘毅は一九三六年から三七年に首相。外務大臣〕◎岡田啓介(おかだけいすけ/一八六八‐一九五二)海軍軍人、政治家。海軍兵学校、海軍大学校を経て日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦に従軍。海軍大将、連合艦隊司令長官、海軍大臣を歴任後の一九三四年、首相就任。二・二六事件では難を逃れたが、内閣は総辞職した。日米開戦には消極的で、開戦後は東條内閣退陣運動の中心となる。写真協力/国立国会図書館「近代日本人の肖像」