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概要

日米開戦の正体

73 第一章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?外務大臣。一九四一年二月駐米大使)は次のように述べています。一部の人は、この戦争の主張者の一人は、連合艦隊司令官だった山本大将だったように思っているようですが、決してそうではありません。彼は日米開戦にはつねに反対でした。彼は近衛公にもつぎのように話しています。「そうですね、まあせいぜい一年か二年は何とかやっていけるかも知れません。しかし、それから後のことは分りません」(編注)山本大将は昭和十五年(一九四〇年)九月、三国同盟締結問題に対する海軍首脳部会議参加のため上京した際、近衛首相の招きによって荻外荘〔現在の荻窪二丁目にあった近衛氏の別邸〕で会見し、日米戦となった場合の見通しに関する首相の質問に答えて「それは是非やれといわれれば、はじめ半歳や一年の間はずいぶんあばれてごらんに入れる。しかしながら二年三年となれば全く確信はもてぬ」といった。(『開戦の原因』)ドイツが欧州を席巻し、英国がまさに亡びそうになっているときでも、米国国民や議会は参戦に賛成ではありませんでした。ルーズベルト大統領は参戦するため、「日本やドイツが侵略者である」ことを米国国民に訴えることが必要でした。致命的でなければ、ある意味、最初の打撃が大きければ大きいほど効果的です。それが真珠湾攻撃です。