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概要

日米開戦の正体

77 第一章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?す。『寺崎太郎外交自伝』(非売品)は次のように記しています。第二次近衛内閣(一九四〇年七月から一九四一年七月)の外務大臣は、音に名高い故松まつ岡おか洋よう右すけさん。私がここではっきり書き残しておきたいのは、当時、少しよう壮そう職業軍人の群とガッチリと手を組み、外務省の役人でありながら、軍閥の手先となって、国家の最高方針に反し、あたかもドイツ人さながらに、「打倒米英!」「ハイル・ヒットラー」と高唱してはばからぬいわゆる、「枢軸派」と称される輩やからが、暴威をふるっていたということである。幹部すなわち局長の大部分は、この派に属するか、そうでなければ、旗き幟しを鮮明にしない、〝灰色〟のズルイ輩であった。そして「枢軸派」の局・部長の下には、威勢のいい、若い事務官連がおり、松岡さんをトップに、わがもの顔で省内を横行していたのである。(略)そのうちのあるものは、戦後、百八十度の転換をし、今や平気で、アメリカさん全盛の今の世の表面を闊かつ歩ぽ している。事務官は、こっぱ役人で、いわんや政治家でもないのだから、責任を負う必要はない。風のまにまに、また時の流れに身をまかせてかまわない、というのであろう。これが、日本流にいう「世渡りのうまい人間」であろう。その家族のものは、常に物質的に恵まれ、幸せなことであろう。彼らの名前をあげるのは、いと易やさしいが、おとなげないしわざだから、やめておこう。(略)これら「青年将校」のなかにも自ら派閥といおうか、グループといおうか、そういったものがあり、それぞれの〝部屋頭〟めいたものがいたが、彼ら共通の頭とう領りようは、情報部長と