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概要

日米開戦の正体

82ょう。・一九四一年冬、ドイツ軍はクレムリンまであと十数キロのところまで迫りましたが、例年より早い冬によって発生した泥でい濘ねいと降雪が進撃の足を止め、赤軍も猛抵抗したことによりドイツ軍の攻勢は頓とん挫ざしました。ドイツ軍の圧勝という前提が崩れれば、日本軍部も異なった選択をしたでしょう。ドイツ軍のモスクワ侵攻作戦が完全に頓挫した日が一九四一年十二月八日です。真珠湾は日本時間一九四一年十二月八日未明、ハワイ時間十二月七日です。もし真珠湾攻撃が二週間後に予定されていれば、日本は真珠湾攻撃をしなかったと思います。・米国は欧州を守るため、ドイツと戦う機会を探っていましたが、その契機は難しかった。従って日本が攻撃するのを待っていました。このことを指摘する人は当時、上層部にはほとんど見えません。米国が待っている「罠わな」という認識があれば事態は変わったと思います。佐さ藤とう賢けん了りよう(開戦当時陸軍軍務課長)は後々この罠を認識して、懺ざん悔げしています。・天皇は戦争に入ることを明らかに躊ちゆう躇ちよしていました。この時断固反対の姿勢を貫けば、東條首相も強引に突き進むのは難しかったと見られます。しかし、これは天皇にもリスクがあります。戦争反対になれば軍部は昭和天皇を廃位に追い込んでいったと思います。後継には、例