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概要

日米開戦の正体

88日露開戦以降の基本的な流れ歴史にはさまざまな「IF」があります。「あのときこの事件が起こらなかったら」とか、「あのとき、この人が事件の責任者でなかったら」といったことです。同時に、川の流れのように、一人二人の抵抗では如い か ん何ともしがたい歴史の流れもあります。日本が真珠湾攻撃に向かうのは、日露戦争以降の満州への進出と関連し(日露戦争と満州については後で詳しく書きます)、必然的流れのようにも思えます。この流れに沿う人や動きは増幅され、異なる流れは次第に勢力をなくするようです。① 日露戦争で南みなみ満まん州しゆう鉄道をロシアから得た(ポーツマス条約では「長ちよう春しゆん(寛かん城じよう子し)旅りよ順じゆん口こう間ノ鐵てつ道どう」となっています。日本はこれを基礎に一九〇六年南鉄道会社を作りました)。だからこの沿線を確保しなければならない② 満州の治安を維持するためには、満州を中国と切り離さなければなら◎南満州鉄道 一九〇六年に設立された半官半民の国策会社・南満州鉄道株式会社が経営した鉄道。満州支配の動脈的存在といえる。日露戦争後、ポーツマス条約によって譲渡された東清鉄道をベースに、大連・長春間の本線といくつかの支線があった。一九四五年、中国に接収された。略称・満鉄。◎日露戦争 一九〇四?〇五年、韓国と満州の支配をめぐって戦われた日本とロシアの戦争。日本軍による旅順占領、奉天会戦でのロシア軍退却、さらに日本海海戦で日本艦隊がバルチック艦隊に勝利すると、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトが調停に乗り出し、〇五年九月アメリカのポーツマスで講和条約が成立。