ブックタイトル仕事に効く 教養としての「世界史」

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概要

仕事に効く 教養としての「世界史」

19 第1章 世界史から日本史だけを切り出せるだろうかから、お話ししたいと思います。奈良時代の女帝たちは?男性の中継ぎ?だったのか日本の奈良時代、7世紀末の持じ 統とう天皇に始まって、元げん明めい天皇、元げん 正しよう天皇、孝こう謙けん天皇、称しよう徳とく天皇、と、最後の二人は同一人物ですが、ごく短い間に多くの女帝が誕生しました(21ページに系図)。このことについて中学時代に、「中継ぎで女性が立った」と教えられた記憶があります。持統天皇の息子で若くして病死した草くさ 壁かべの皇み子ことか、その子どもである文もん武む 天皇とか、そのまた子どもである聖しよう武む 天皇が、そろって病弱であったり幼かったので、やむを得ず中継ぎで女性が天皇になったのだと。しかし、僕はちょっと違うのではないかと思っているのです。この時代、日本にとって世界とは韓かん半島(朝鮮半島)と中国のことでした。この二つの地域の情報を、日本は一所懸命集めていました。5世紀頃の韓半島と中国倭新羅百済加羅(任那)北魏 高句麗(北朝)宋(南朝) 倭という国は韓半島と北九州の一部だったのかもしれない