ブックタイトル仕事に効く 教養としての「世界史」

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仕事に効く 教養としての「世界史」

22す。それに倣ならえば、倭という歴史上に登場する国も、ひょっとしたら韓半島と北九州に軸足を持つ一つの国だったのかもしれません。現在の国境とは関係のない、そういう形の国家だったのではないか、と考えることも可能だと思います。ところで傭兵政策は、一般に、強大な統一国家が成立したら破は綻たんします。小さい国が争っているからこそ傭兵の価値があるわけで、統一国家が成立したら傭兵のニーズはなくなります。韓半島が新羅によって、中国が隋ずいと唐とうによって統一されたことは大事件でした。隋、唐は、五胡十六国の中から生まれた国家です。鮮せん卑ぴ という遊牧民の中の拓たく跋ばつ部ぶ という有力な部族が最終的に権力を握って樹立した国家です。ローマ帝国に侵入した諸部族の中で、最後にフランク族が残ったのとよく似ています。拓跋部が中国に隋と唐という大帝国をつくった。大帝国ができたら傭兵国家の戦略は破綻する。それを象徴したのがおそらく白はく村すきの江えの戦いでした。百済の助っ人としてやって来た倭軍が、韓半島南西部の錦きん江こう河口の白村江で唐・新羅の連合軍に敗れたのです。これは、僕が、縁あって東京大学の総長室アドバイザーの仕事をしているときに、目から鱗うろこが落ちたのですが、駒こま場ば のキャンパスで、白はく鳳ほう時代から奈良時代の衣装展という展示会があったのです。見てびっくりしたのは、貴族たちが胡こ服ふく、乗馬服を着て、椅い子す と机で生活をしている。要するに、鹿ろく鳴めい館かん政策を採っていたのです。白村江で負けた日本には、唐から郭かく務む ?そうという将軍が来た。まあ、マッカーサーのような