ブックタイトル仕事に効く 教養としての「世界史」

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仕事に効く 教養としての「世界史」

25 第1章 世界史から日本史だけを切り出せるだろうか政治を行なうけれど、皇后のままではなんとも歯がゆい。この際、皇帝という称号をやめてしまおう」武則天という人は天才で、皇帝という称号を捨ててしまう。そして、天皇と天后という称号を新たにつくり出す。天てんはどちらにも共通です。天とは、周以降の中国では空にいる神様のことです。こうして武則天は自らを権威づけて、彼女の考える政治を果断に実行した。武則天が君臨する直前に、新羅でも二代続けて女性の王様が生まれています。善ぜん徳とく女王と真しん徳とく女王の二人で、7世紀半ばのことでした。隋や唐の母体となった拓跋部は、いわば男女同権的な民族だったので、女性でも頑張った人が数多くいます。たとえば北ほく魏ぎ には、均田制などの諸改革を断行した馮ふう太たい后ごうという人がいました。数々の改革で名を残した七代皇帝孝こう文ぶん帝の養祖母でしたが(母子説もあります)、実際の政治を仕切っていたのは馮太后でした。武則天と持統天皇(讃さら良ら というのが本名です)の活躍した時代はほぼ重なります。要するに讃良には、世界帝国を女性が取り仕切っているというロールモデルがあったわけです。讃良が何を考えたかと言えば、中国では私と同じ女性が天后として政治を取り仕切っている。韓半島でもちょっと前に女性の王様がいた。なぜこの国を私が仕切ってはいけないのだろうと、考えたと思うのです。人間はロールモデルに倣ならいます。讃良は「日本という国号、天皇という称号、律りつ 令りようという体制、藤ふじ原わら 京きようという都、机と椅子、乗馬服、記紀」というワンセットの鹿鳴館政策を完成させます。藤原不ふ比ひ等との手を借りて。アマテラスのモデルは讃