ブックタイトル僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

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概要

僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

  20た一八九〇年前後を、近代国家としての基本的な体裁が整った点で、「戦前」の真の始まりと見なすことも可能であろう。戦前の国家戦略は、明治後半における日につ清しん戦争・日にち露ろ戦争の勝利や、それに伴う台湾・朝鮮半島の植民地化などを経て、昭和のはじめには日本主導のもと、中国大陸に「満まん州しゆう国こく」を樹立するまでに至る。「(東)アジアの覇者」として名乗りをあげたわけながら、これは中国ばかりでなく、欧米諸国との対立を激化させる結果となった。日本は引き下がらず、「欧米の植民地支配からアジアを解放する」として、太平洋戦争に打って出る。この戦争は第二次大戦の一部に含まれるが、当時は「大だい東とう亜あ戦争」と呼ばれたことが示すように、「アジアにおける覇権の確立」という意味合いを持っていた。事実、日本国内では、今回の戦争に勝つことで公正な平和を世界にもたらすのだとか、果ては「世界新秩序」を築くのだといった議論までなされている。「アジアの覇者」どころか「世界の覇者」として名乗りをあげたわけながら、敗戦によってこの国家戦略はみごとにパアとなってしまった。その意味でも、「戦前=日本が独自の国家戦略を展開した時代」と規定するかぎり、戦前は一九三九年八月までではなく、一九四五年八月までと見なされるべきなのだ。