ブックタイトル僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

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概要

僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

27   第1章 終戦を疑え(1941年~ 1947年)カーサーの日本』、新潮文庫、一九八三年、上巻、一〇〇?一〇一ページ)これらの指摘の正しさを裏付けるのが、「終戦」なる言葉の存在である。太平洋戦争の敗北を認め、降伏を受け入れた昭和天皇の公式声明は、「終戦の詔しよう 書しよ」と呼ばれた。この詔書の朗読をラジオで流したのが、一九四五年八月十五日の「玉ぎよく 音おん放送」となるものの、以後、「終戦」は「太平洋戦争の終わり」を意味する表現として定着する。八月十五日が、今でも「終戦記念日」と呼ばれるのは、その何よりの表われであろう。だが太平洋戦争は、ただ「終わった」のではない。日本にとり、それは「(全面的に)負けて終わった」ものなのだ。にもかかわらず、「敗戦」ではなく「終戦」と呼びたがるとは、自国が負けたことを認めようとしない態度だと言われても仕方あるまい。しかも「八月十五日に戦争が終わった」という認識すら、じつは間違っている。国際法において、戦争とは以下の処理が完了しないかぎり終結しないものなのだ。(1)戦闘行為の停止に関する協定が、対戦国との間で結ばれる。この後、いわゆる「ドンパチ」は起こらない。戦争の実質的な終わり。(2)講和をめぐる平和条約が、対戦国との間で結ばれて発効する。これによって、平和な外交関係がよみがえる。戦争の完全な終わり。