ブックタイトル僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

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概要

僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

  28太平洋戦争の場合で言えば、(1)の処理が完了したのは、降伏文書が調印された一九四五年九月二日であり、(2)の処理が完了したのは、日本が独立を取り戻した一九五二年四月二十八日である(※)。八月十五日に起きたことは、「戦争をめぐる勝敗が、日本の降伏という形で確定した」だけにすぎない。戦争末期、満州に攻め込んだソ連(現・ロシア)軍が、この日の後も進撃をやめなかったのは、これを根拠にしたものとされる。ではなぜ、日本では八月十五日が「終戦記念日」ということになっているのか? むろん昭和天皇自身の肉声によって、敗北宣言がなされたからであろう。当時の日本人にとって、これが衝撃的だったのは疑いえない。けれども「天皇が敗北を認めたら、それで戦争が終結する」というのは、国際的に受け入れられる理屈とは呼べないのだ。いいかえれば「八月十五日に戦争が終わった」と考えるのは、「天皇には国際法を超えた権威があり、そのことは世界的に認められている」と構えるにひとしい。おまけに「敗戦」ではなく「終戦」と呼びたがるのだから、もはや二重の大ウソではないか。三根生久大も、『記録写真 終戦直後』でこう指摘する。