最新刊
『サプリ』4巻

定価980円 
大好評発売中!!

おかざき真里先生は、2001年まで大手広告代理店に勤務されていました。『サプリ』の舞台も広告代理店で、そのハードな内情がかなりリアルに描かれています。写真を交えながら、当時のエピソードについてうかがいました。
ピヨタケ:まずは『サプリ』の内容についていろいろ伺いたいのですが、キャラにモデルはいるんですか?
おかざき:全員ではないですけど、名前をいただいたりとか、外見上のモデルはいますね。境遇はまったく違うけど、しゃべり方や外見が一致してるのは柚木。その人も男口調でフリーのコピーライターでした。ただ、キャラを動かすときに、モデルがいると動かしづらいこともあります。モデルがいると、リアリティはあるんだけど、自分で好き勝手は動かせないような感じがして。逆にコーエツとサハラだけはモデルがまったくいないです。
各キャラのファッションについても「かわいい!」と読者からの反響が大きいです。それぞれ違った個性が出ていますが、ファッション誌別に例えるとどうでしょうか? まずは藤井について。
シンプルでコンサバ。ちょっと流行を入れている。雑誌で言うと、「Oggi」とか。実はこの藤井の服が毎回いちばん苦労するところなんです。
お嬢っぽくてシンプルなファッションは藤井の定番ですよね。では田中については?
雑誌で言うと、「CLASSY.」あたりですが、写真を漫画に描くと違って見えるので、あまり雑誌そのものを参考にはしていません。むしろ「Fuge」や「InRed」、「ViVi」のデコラティブなキレイ系をOLっぽく変えたりして描いてます。田中のモデルになった人とは別に、「田中の服のモデル」という人も存在するんですよ。服に合わせて靴やアクセサリーの全身コーディネートを変えるような、「服に対する気合の入れ方」という点でのモデルです。
確かに田中はいちばんおしゃれで派手ですね。ほかの女性陣についてはどうですか?
内勤の渡辺と、クライアントの前に出ることの少ない柚木はスーツというより、ニットやカットソーが多いですね。雑誌で言うと「流行通信」とか「GINZA」。このふたりの服は、私の趣味のものを着せている感じ。白が柚木、黒が渡辺という振り分けで。
なるほど。では男性陣についてもお願いします。
イシダはサーファーなので、派手ではないアロハとか。ラグラン袖のシャツもなぜか多いですねー。そして、なぜかコーエツの服にはどこかに必ずポケットがついている。カーゴパンツとか。サハラはカメラマンなので被写体に映りこまないように、黒! メガネをものすごい種類持っていますねー。
イシダはサーフィンする時間なんてあるんですか? 忙しそうですけど。
でも博報堂の男の人たち、サーファー多かったですよー(笑)。早朝とか土日に波乗ってから会社に来たりしてましたね。
次に、登場人物の年齢についておさらいさせてください。藤井は28歳ですよね。となると、同期の荻原も同い年ですか?
実は作者脳内設定では荻原はひとつ年上で29歳なんです。大学浪人か海外留学か...、それはわからないですけど。
サハラはコーエツが「34歳か35歳」と証言してますが。
どっちなんでしょうね(笑)。今後明らかになるかもしれません。それで、柚木は31歳。これも作中には出てきてないんですけどね。イシダは藤井の2コ下だから26歳。
コーエツも26歳だから、ふたりは同い年ですね。
↓柚木が田中にカラむのは同い年ゆえの気安さ?(FILE.21)
ホントだ。渡辺は短大卒で藤井の入社の次の年に入ってきたから、イシダの1コ下の25歳。田中は荻原より3学年先輩だから31歳かな。
第1話でも出てくる「イス3つ寝(※イスを3つ並べて簡易ベッドにする)」について。おかざき先生は経験済みですか?
もちろん「イス3つ寝」してました。寝心地は案外快適でしたよ。姿勢を変えるとそれに合わせて蛇腹のようにイスが動くんで。
寝相が良くないとできない技ですよね。
熟睡はできないですけど、30分くらいの仮眠には最適。3つの高さを変えて調節したりして。おのおのお気に入りのイスがあるんです。
取り合いだったんですね。
そう(笑)。今はどうかわからないけど、博報堂では偉くなるとイスに肘掛けがつくんです。寝るのにヒジがジャマだからそれは使わないで、肘掛けが付いてないイス...自動的に後輩のものになりますけど(笑)、を使うんです。戻ってきた後輩が座れなくて困ってました。
厳しい上下関係(笑)! イスと言えば、藤井と荻原が大阪出張に行くときに新幹線で隣に座らずにタテに座席をとって別々に座っています(FILE.4)。普通は横並びに座ると思うのですが、これは「男女だから」という配慮なんですか?
いえ、男女だからというわけではなく、だいたいみんなタテに座りますね。仕事での移動だと何人いてもタテに座席をとります。飛行機だと座席が3つだから、新婚カップルのとなりに社員がひとりずつ、イヤーなかんじでずらっと並ぶという(笑)。移動の時間はそれぞれ好きなように過ごします。私みたいにマンガ描いたり、宿題(※会社の仕事)したり。
飛行機や新幹線の中でどうやって原稿を描くんですか?
私にとっていちばんベストなのは体育座りをして、こうやって(ヒザに板を載せて描く姿勢をとる)描く姿勢なんですよ。だから半畳あれば漫画が描けます。
安定が悪くないんですか?
でも、机に置いて描くと微妙に視点がずれちゃうんですよ。だから漫画家さんって視点に対して原稿が垂直になるように、斜めになった机で描いてるじゃないですか。あれの要領です。
移動中に揺れると手元がくるったりしませんでしたか?
下描きとかネームは、揺れてもそんなに被害はなかったですよ。移動中にペン入れはさすがに恥ずかしいからできなかったです。
作品中によく出てくる「JOB(ジョブ)」について、使い方の例などあれば教えてください。
"1案件"という意味で使ってました。伝票上の言葉なので、伝票を切るときに「じゃあ●●のジョブに入れよう」というように。だから普段仕事の言葉として使うというよりは、伝票を分けるときや書類を書くときなんかに使ってました。例えば同じクライアントでも、広告とラジオCMとかでジョブ番号が分かれてるんです。だから「コレはラジオの仕事だからジョブ番号●番に入れる」とかそんな感じでしたね、当時は。今は全部パソコンで管理してるんじゃないかな。
藤井が上司にイヤミを言われていた訳(FILE.24)が分かりました。ところで「CM年鑑」(FILE.7)は実在するとか。
ええ。業界御用達で、漬け物石にもなりそうな人が殺せるくらいぶっとい本です。すごく立派なハードカバー仕様のタウンページくらいの大きさ。カバーデザインはその年いちばんのデザイナーが手がけるんですよ。大貫卓也さんとか、佐藤可士和さんとか、毎年さまざまです。スタッフ表が載っているのでそれをもとに人を探したりして、仕事でよく使っていました。
先生が漫画家になった経緯を教えてください。「ぶ~け」でデビューする前から活躍されていたという噂がありますが...?
高校の頃からいろんな雑誌にイラストを投稿して賞金を稼いでました。私、高校卒業時に100万円以上貯金があったんですよ。あのころがいちばん金持ちだったかも(笑)。美大に行きたかったので、どうせなら絵を描くバイトがしたかったんです。だからとにかく投稿しまくって。入賞すると賞金や画材をくれるところもあれば、何にもくれないところもありましたね。
では、入賞した雑誌からデビューを?
当時よく入賞していた雑誌『Fanroad(ファンロード)』の編集部から電話がかかってきて、「今度漫画雑誌を創刊するから漫画を描きませんか?」って言われたんです。「わかりました! もちろん!」って感じで返事をして、そのまま本屋さんに走って。忘れもしない「うる星やつら」9巻を買って「漫画って1ページに何コマ入れるんだろう?」って調べたんです。フキダシの中の文字の大きさも分からなかったから、いろんな漫画雑誌を買って漫画の描き方を研究しました。はじめは「ケント紙」も知らなくて。投稿していたときも、ある程度画材をそろえてたんですけど、ハガキでの投稿だったり、そもそもイラストでの投稿だったので漫画を描いたことがなかったんです。だから、私にとって初めて商業誌に載った漫画が、初めて描いた漫画だったという...。そんなかんじで高校のころから五月雨式に漫画を描いてはいたけれど、バイトの延長の感覚だったので。「プロ」と呼ばれるものを作ろうと意識したのは、『ぶ~け』デビューから。なので、公式アナウンスとしてデビューは"'94年『ぶ~け』でデビュー"ということにしています。
高校卒業後は美大に進学を?
多摩美術大学のデザイン科に進みました。もともと、何で絵を描くようになったかというと、私は家を継がなければならない身だったんですよ。実家が代々続いている造り酒屋で、3人姉妹の長女だったので。でも、「お前は継がなくていい」と言われたので、自分は将来それに代わる「何か」で身を立てなければっていう意識がすごくありましたね。家を継がないのであれば、手に職を持ってお給料をもらわなければと。それで、絵が好きだったから美大に行って「絵で身を立てよう」と思ったんです。本当は日本画科に行きたかったんですけど、画材も高いし、日本画じゃ食べていけないなと思ってデザイン科を選びました。日本画で使う「岩絵の具」って、こんなに小さい絵の具が(人差し指と親指で小さな円を作りながら)ピンキリですけど基本的にすごく高価なんです。でも岩を砕いて作っていて凝固剤が入っていないから、この世でいちばん発色がいいんですけどね。ヘタな宝石よりはるかにきれいで、不思議な色ですよ~。もう見てるだけで幸せ! 印刷で使う特色インクよりもきれいだから、印刷では再現できないんです。
鑑賞するときは原画を見るしかないですね。
そう。日本画家はそれを指で溶いて、紙に盛っていきながら絵を描くので、ものすごくお金がかかるんです。
岩絵の具の値段はどれくらいなんですか?
小さいものでも1個2000円くらいしますよ。500円から買えるものもあれば、数万円するものもあるとか。希少な石からしかとれないものは本当にダイヤモンドみたいなものです。画材が高い上に、日本画の世界っていろいろ複雑で大変そうだし、卒業してすぐに食べられるのはデザイン科だなと思って。早く就職したかったしクレジットカードが作れる身分になりたかった。社会に自分の机が欲しかったので、会社に入ってからは「がんばろう! おー!」ってやる気に満ちてましたね。
では、就職先に博報堂を選んだ理由は?
電通はデザイナー採用の枠は男子だけで女子が応募できなかったんですよ。だから、まず女子採用のある博報堂を受けました。
すごい倍率だったのでは?
倍率は高かったと思います。1次から3次試験まであったんですが、1次は今までの自分の作品をプレゼンテーションするという試験で。絵の作品を持って来た人が多かったんですけど、私は漫画の原稿も持っていったんです。結果、無事に通過したんですが、入社してから「お前のデザインはヘタだったから本当は1次試験で落ちてるはずだったんだぞ」って言われて。その時、ひとりの審査員の「マンガ描いてる人、面白そうだから残してみようよ」って言葉に救われたそうです。でも、その後の2次試験をトップ通過したらしくて、それで入社が決まったんです。
2次試験の内容を教えてください。
ひとつのキーワードとスケッチブックを与えられて、そのキーワードから連想する絵を描くという発想力のテストでした。キーワードは『KEY(鍵)』。それがたまたま私の世界観に合ってたんです。もう、ぐわーっといっぱい描きました。他の人も200とか300とか、多い人で1000枚くらい絵をどんどん出していくんです。提出期限まで5日間くらいありましたから。最終試験である3次は新聞広告を作る試験だったかな。
即戦力が求められる、ものすごく実践的な試験なんですね。そして、晴れて博報堂に入社されたと。
会社員時代はこんなかんじでした。
おお、ミニスカ!
しょっちゅうバイトに間違えられてました。よく会社に出入りしてた人も、私をバイトだと思ってたんじゃないかな。
バシッとスーツを着ているようなイメージがあったので意外です。
会社員していると、「キャラ」があったほうが楽なんです。自分もまわりも。謝るときも主張するときも。特に私がいた会社はそういう傾向にあったので、私は「ミニスカ野郎」に(笑)。撮影現場とかにはちゃんとパンツでしたけど。
当時、会社での必需品は何でしたか?
うーん、何だろう...タバコかな。そういえば午後5時になるとみんなストックしてあるオヤツをボリボリ食べてましたね。
普通の会社員が帰り始める頃がおやつの時間だったんですね。
↓当時の同僚と。
衝撃のオカマ写真!
そう。ちょうど小腹が空くんですよ。
入社後、仕事の合間をぬってマンガを描いてらっしゃったそうですが。
これが当時のスケジュール帳です。いちばん忙しい月はこんなかんじでまっ黒でした。
休日も関係なくビッシリですね! 寝る時間はあったんですか?
なかったです(笑)。だから例えばデートでお泊りにいって、やることやって、そのあとゴソゴソ道具持ち出してベッドの脇で画板かかえて描くんです。温泉だったら浴衣姿で。彼氏には怒られてました(笑)。移動の新幹線の中や飛行機の中でも描いてました。あー、出産した病院のベッドの上でも描こうとしてた。さすがに描けなかったけど(笑)。
当時のタイムスケジュールを教えてください。
今は制度が変わったと思うんですけど、当時は「スーパーフレックス」という制度があって、夜9時までに1時間会社にいればその日は出勤扱いになったんですよ。だから、午前3時か4時くらいまで会社にいてそれから帰って朝7時くらいまでマンガを描いて、打ち合わせのある時間に出社してました。例えば打ち合わせが午後4時からであれば、マンガをもう少し描いてから寝て出社してましたね。そんな感じで他の社員も立ち寄りの仕事が多いので、会社の机にきちんと座ってるということがなくて。1日中会社にいることは、まずなかったですね。夜になるとみんな集まってきて「麻雀やろうよ!」「オレはこれから打ち合わせなんだよ(怒)!」とか言い合ったりして(笑)。
みなさんパワフルですね。体調を崩されたりはしなかったんですか?
倒れたいときはありましたよ。「何で私は今みんなの前で血が吐けないんだろう!? そしたら休めるのに」とまで追いつめられることも。一度、風邪をひいた時に、「うえっ」ってなって、打ち合わせの最中にトイレに駆け込んで吐いて、また打ち合わせに戻ったりしてました。そのまま倒れられれば楽になったのに(笑)。若かったんで、体力があっちゃったんですね。楽しむことを諦めたくなかったし。会社員時代はバンドの追っかけもやってたなあ。
あの激務の中で!?
↓当時の写真
打ち合わせのフリしてこっそり抜けて、「うおーっ」ってこぶし振り上げて騒いで、タクシーで戻ってきて、仕事してました。
誰の追っかけだったんですか?
「BLANKEY JET CITY」がすごく好きで。早稲田大の学祭や、富士急ハイランドまで追っかけていきました。とにかく、ものすごく好きでしたね。
当時、漫画の連載は持っていたんですか?
はい。ただ、『ぶ~け』で連載をいただいたときは3ヶ月くらい準備期間をもらって半年連載、というペースでした。それしかできなかったんです。連載で(原稿が)落ちたりすると怖いんで、かなり長めに準備期間をもらってました。
おかざき先生はいつもきちんと締め切りを守ってくださるので本当に感謝してます(笑)。
マンガの締め切りってすごくはっきりしてるじゃないですか。広告の仕事だと、いきなり再プレになったり、「今からすぐ来て」とか平気で言われるんで。マンガは唯一自分のペースで先に進めておける「ジョブ」だったんですよ。だからちょっとでも時間が空くと「あ、今だ!」って前倒しでやるくせがつきました。
そうやって時間をやりくりしないととても追いつかないくらい忙しかったんですね。
そう、10分でも15分でも。だって会社の仕事がいつ再プレになるか、いつ出張に行けって言われるかわからないし。
あらゆる「もしも」に備えていた、と。
そうです。だから私、地震対策はバッチリ(笑)。子どもの着替え、オムツ、ミルク、それから離乳食...、避難袋のリュックはパンパンです。子どもがふたりともアレルギーあるんで、支給のものが食べられないかもしれないし。お水は常にペットボトルでストックしてあるし、保存食のラーメンもコンロも懐中電灯もあります。きっと好きなんですね、「サバイバル」が。
常に「想定外の事態」に対処する方法を考えて。
選択肢はいっぱいもっておかないと。なんか「なにかやっとかなきゃいけないんじゃないかなー」って、常に「筋トレ」してるかんじですね。いるかいないかわからない架空の敵に対して(笑)。心配性ですよね。
ありがとうございました。最後に、『サプリ』のTVドラマ化に関してひとことお願いします。
「月9」ですし、キャストも人気もある方たちばかりで、話題性は十分! どんなドラマになるか、楽しみにしています!
2006年6月、都内某所にて収録。
藤井ミナミを演じた伊東美咲、
イシダ役の亀梨和也ほか
瑛太、白石美帆、りょう、佐藤浩市など
豪華キャストでお送りした月9ドラマ『サプリ』は
大好評のうちに終了しました。
おかざき真里 Profile
6月15日長野県生まれの関西育ち。
多摩美術大学卒。
10代の頃よりマンガを描きはじめ、1994年『ぶ~け』(集英社)でデビュー。広告代理店の博報堂に入社後、デザイナー、CMプランナーを務めつつ作品を発表し続ける。
2001年に同社を退社し、執筆活動に専念。
漫画家のほか「オカザキマリ」名義のイラストレーターとしても活躍中。
代表作に『セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする』(祥伝社)、『バスルーム寓話』(飛鳥新社)、『渋谷区円山町』(集英社)など。

公式HP「CAFE MARI」
http://www.cafemari.com/