『謹訳源氏物語』に志す
林 望

 豊かな古典文学の森に分け入って、これを母語として読み、味わうとき、私は日本人に生まれて良かったと思う。なかでも『源氏物語』は世界的に見ても一つの「奇跡」である。

 とはいえ、昔、若い時分に読んだ時には正直よく分からなかった。が、やがて大人になり、人の親になり、幾多の辛酸も嘗めなどするに及んで、この物語が描き出す「人生の実相」が、まるでわが事のように活き活きと感じられるようになった。読めば読むほど、この物語は、遠い昔の絵空事ではなくて、今日ただいまの、私たち自身の問題に通じていることが分かってくるのである。

 大学・大学院博士課程、二十五年に及ぶ高校・大学教員生活を通じて、私は、終始一貫日本古典文学の徒であった。特に、古典への実証的解釈が、私の本来の専門である。研究者として、学問的方法に基づいて解釈し、同時に作家として「分かりやすく・面白く」現代の読者たちに伝えたい。そう願って、私は今まで、土佐日記、枕草子、落窪物語、平家物語、風姿花伝等々の古典を読み解く作品を書き続けてきた。が、その間、常に念頭にあったのは、古典文学の本丸『源氏物語』、この鉄壁の巨城であった。

 ただ、漫然と訳すのではなく、たとえば、語り手の立場からの作中人物に対する重い敬語づかいは、これを原則的に廃して、ストレートな話法に変更し、その代わりに主語を明記するなど、いくつかの確信的変更を加えたが、それはひとえに読みやすく自然に物語るための操作である。しかし、根拠に基づかない恣意的改変は厳密にこれを排した。

 題して「謹訳 源氏物語」としたのは、原典の持つ深く豊かな文学世界を、忠実謹直なる態度で解釈し味わい尽くして、作者の「言いたかったこと」を、その行間までも掬い取りたいという思いを込めたのである。それは、私の古典学者としての責任である。その上で、面白くどんどん読めてしまう自然な現代語で表現するのは、作家としての責任である。

 『あさきゆめみし』などを読んで興味を持たれた方も、こんどはぜひ深い微妙なところまで読み、味わってほしい、そう願って私は、持てる力の総てをここにかけた。

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