ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

一 俳諧の発生と室町時代の俳諧 | 12一 俳はい諧かいの発生と室町時代の俳諧俳諧とは何か そもそも、俳句というのは、俳諧の連れん歌がの発ほつ句くが独立したものである。俳諧というのは「ふざけた」とか「滑こつ稽けいな」という意味だ。中世においては、俳諧の連歌は、狂きよう連歌とも、悪わろき連歌とも、無む心しん連歌とも言われていた。和歌や連歌に見られるような雅みやびの精神が欠如している文芸として扱われていたのである。 ふざけたものに過ぎなかった俳諧の連歌を、和歌や連歌と並ぶ文芸にしたのは、それぞれの時代の作者の努力があるにしても、その最大の功労者は芭蕉である。俳句の歴史の中心に芭蕉を置いて、そこから俳句とは何かを考えるということをこれからしてみたい 俳諧という語は『古こ今きん和歌集』の巻第十九「雑ざつ体たい」の中に見受けられる。旋せ頭どう歌かなどと並んで俳はい諧かい歌かというのがあるのだ(古今集では「誹諧歌」と表記している)。梅の花見にこそ来つれ鶯うぐひすのひとくひとくと厭いとひしもをる   読人しらず