ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

13 | 第一章 芭蕉までの一五〇年の歩み こういうのが俳諧歌だが、この歌の滑稽味は、鶯の鳴き声の「ひとく」と、人が来たという意味の「人ひと来く」とを引っかけてあるところにある。現在は鶯の鳴き声を私たちは「ホケキョ」と受け止めているが、平安人は「ひとく」と受け止めていたのだ。だから、鶯が鳴くと、人が来る人が来ると聞こえる。そこで、この歌の意味は、俺は梅の花を見に来たのだ、それなのに鶯の奴は「人が来た」「人が来た」と嫌がっている、ということになる。山やま吹ぶきの花色衣ごろも主や誰問へど答へずくちなしにして   素そ性せい法ほう師し これは山吹の花の色の着物を着ている人にあなたは誰ですかと聞いたのだ。おそらく女性に向かって名前を問うたのだろう。ところが、相手は答えてはくれなかった。山吹の花の色といえば黄色だが、衣類を黄色に染めるには梔くちな子しの実を染料として使う。そこで、梔子と口無しとを引っかけて、くちなしだから口をきいてくれなかったんだと言ったのだ。 こういうふざけた歌を俳諧歌という。後に、純正連歌に対して俳諧の連歌と言われたのも、その意味はふざけたということであり、その背後には正統的なものではないという気持ちがある。だから、俳諧というものは何をやっても許されるということにもつながる。事実、室町期の俳諧を見ると種々の下品なことを平気で取り入れている。 ただ、そういう俳諧でありながら、さまざまな試みを通して独立した文芸になっていくのであり、ついには和歌や連歌と並ぶ位置を獲得する。その経過を見ていくと、どういう