ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

19 | 第一章 芭蕉までの一五〇年の歩み諧連歌抄』と言われていたようだが、書き写されていくうちに「犬筑波」と呼ばれるようになった。「犬」とは「犬いぬ侍ざむらい」などというときの語で、准勅撰集である『菟つ玖く波ば集』に対する卑称である。偽にせの筑波集というような意味だ。『犬筑波集』は言い捨てにされた室町期の俳諧を記録したものだ。作者名の記録はなく、他の記録で確認できるものを除けば、作者が分からない。宗鑑自身の作品も含まれているようだが、大部分については、他人の作品の面白い例を宗鑑が集めたということだ。ここには、庶民の自由奔放で卑俗な滑稽さがあり、後世に大きな影響を与えた。きりたくもありきりたくもなし盗ぬす人びとをとらへてみればわが子なりさやかなる月をかくせる花の枝こころよき的まと矢やのすこし長きをば『犬筑波集』に収められている作品の右の例で言えば、俳諧の連歌を続けていくときに、「きりたくもありきりたくもなし」という七七に対して、どのような五七五が付つけ句くとして可能かということだ。そういうときの面白い例を出してあるのだが、この場合で言えば、一例が「盗人をとらへてみればわが子なり」というわけだ。確かに、盗人を捕らえてみたら我が子であった場合、切りたくもあるだろうし、その一方では切りたくもないだろう。 また、別の句を付けることも可能で、その例の一つが「さやかなる月をかくせる花の