ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

一 俳諧の発生と室町時代の俳諧 | 20枝」というわけだ。清らかな月が出ているのに花盛りの枝がそれを隠している。月を見るために枝を切りたい気もするし、花の枝を残したくもあるのだ。にがにがしくもおかしかりけりわが親の死ぬる時にも屁へをこきて「屁をこきて」などはいかにも庶民的な俗なもので、連歌では考えられないことである。命しらずとよしいはゞいへ君ゆゑに腎じん虚きよせんこそ望みなれ 腎虚とは精液がなくなって衰弱することだ。房ぼう事じ過多から起こる衰弱症である。 こうした例を見ると、和歌や連歌における雅やかさとはまったく違った庶民的な奔放さがあることが分かる。ここに示した例は、わざと下品なものばかりを選んで出しているのではない。出すのをはばかったもっと露骨な卑ひ猥わいなものがいくらもあるのだ。 こうした『犬筑波集』の編へん纂さんによって俳諧の面白さを人々に知らしめ、世に俳諧を認知させたという意味において、宗鑑は俳諧の祖と呼ぶにふさわしい人である。荒あら木き田だ守もり武たけ もう一人の荒木田守武は、伊い勢せ神じん宮ぐう内ない宮くう禰ね宜ぎを世襲した荒木田家に生まれ、長官にまでなった人物である。連歌で大きく活躍した人であるが、俳諧の上での事績でいうと『誹諧