ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

21 | 第一章 芭蕉までの一五〇年の歩み之連歌独吟千句』(守武千句)を作ったことが特筆される。宗鑑は氏うじ素す性じようもはっきりしない人だが、守武は社会的に身分のある人物である。こういう人が俳諧の連歌を作ったということは、俳諧を世に認知させるに大きな力となった。 かくて俳諧が文芸の一画に座を占めることになったのである。山崎宗鑑の作品 俳諧の祖とされている宗鑑や守武の句はどのようなものであっただろうか。少し、例を挙げてみよう。つまり、室町時代の俳句の例というわけである。 まずは山崎宗鑑である。月に柄えをさしたらば良き団うち扇はかな   宗鑑 この句はなんだか単純すぎるような気がするが、その幼稚とも見える単純さがほのかなユーモアを出していて、取り澄ました和歌、連歌の世界とは異なる独自性となっている。月を団うち扇わに喩たとえるのは先例がないわけではなく、『夫ふ木ぼく和歌抄』(鎌倉時代後期成立、藤原長なが清きよ撰)の中に、「夏の夜の光涼しく澄む月を我が物顔に団扇とぞ見る」という歌がある。この歌も諧かい謔ぎやく味があるが、それでも月の涼しさを独自の比喩で表現しようとしているのは伝統性にのっとっている。ところが、宗鑑の句は、まん丸に出ている月を見て、あれに柄を挿させば団扇だということで、月を身近な生活器具である団扇まで引き下ろしているの