ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

25 | 第一章 芭蕉までの一五〇年の歩み二 戦国以後――松まつ永なが貞てい徳とくと貞てい門もん俳諧江戸時代初期の俳諧 室町時代の末に宗鑑や守武が世を去ってから、江戸初期、松まつ永なが貞てい徳とくが俳諧の活動を活発化するまでに、八、九〇年の歳月がある。この間に、室町幕府は倒れ、織お田だ、豊とよ臣とみと政権が交代し、徳とく川がわ時代になる。戦乱の世が続いて、文学どころではなかったということも一応は考えられるが、武将たちが連歌に興じたり、庶民が俳諧に遊んだりは広く行なわれていたのである。ただ、傑出した存在は松永貞徳の登場まで待たなければならなかった。松まつ永なが貞てい徳とく 松永貞徳(一五七一?一六五三)は京の人で、幼名を勝かつ熊ぐまといい、長ちよう頭ず丸まる、逍しよう遊ゆう軒けんなどの号があった。父が当時の京の文化人たちと交友があった連歌師であったため、子供の頃から多くのすぐれた師に学び、歌学書である著書『戴たい恩おん記き』によれば「師の数五十余人」