ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

二 戦国以後――松永貞徳と貞門俳諧 | 28の愛あ た宕ご山での会で、この翌々日の六月一日の夜、光秀は丹たん波ばの亀かめ山やまを出発、二日の早そう暁ぎように本ほん能のう寺じを襲ったのである。光秀は土と 岐き氏の一族なので、この発句は「土と岐きはいま天下を支配する」と読めるとも言われたりした。これに参加した紹巴は貞徳の師であるが、謀む反ほん人の一味と目され、後に秀吉に咎とがめられそうになった。流行する連歌と肩を並べるために 鎌倉時代から室町時代にかけての連歌の流行はたいへんなものだった。鎌倉幕府滅亡後に後ご醍だい醐ご天皇によって開始された建けん武むの新政の時代に、京の二に条じよう河がわら原に掲げられたとされる落書は有名で、「此この頃ごろ都ニハヤル物 夜討 強盗 謀にせ綸りん旨じ」と始まるのだが、その中に、「京鎌倉ヲコキマセテ 一座ソロハヌエセ連歌 在々所々ノ歌連歌 点てん者じやニナラヌ人ソナキ」という一節がある。 また、室町時代に盛んになった狂言にも連歌を扱ったものが多くあり、『箕みかずき被』には連歌に熱中する男が登場する。「イヤまことに、世に、連歌ほど面白いものはござらぬ」と、家に帰るのも忘れて連歌に遊び回るため、とうとう妻は実家に帰ることになる。ところが、出て行く妻に男が発句を詠みかけ、妻がそれへ見事な脇を付ける。男は、これに感心し、これからはもう外へは行かない、「内に居て、そなたと連歌をして楽しもうほどに、何とぞ戻ってくれさしめ」と頼み、ハッピーエンドになるのである。