ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

29 | 第一章 芭蕉までの一五〇年の歩み『富ふ士じ松まつ』は、主人に無断で遠出をした太た郎ろう冠か者じやを折せつ檻かんしようとする主人が、太郎冠者と連歌を詠み合うというものであるし、『八句連歌』は、貸した米銭を取り立てようとした男が、借り手と連歌を始め、良い連歌の相手が見つかったと算用を帳消しにする話である。また『大だい黒こく連れん歌が』は、大黒天を信仰する二人の男が参さん籠ろうして大黒を讃える連歌を詠んだために大黒が出現するし、『毘び沙しや門もん』では連歌をきっかけに毘沙門天が出現する。 このように、中世から江戸時代初期へかけては、たいへんに連歌が流行した。こういう中で俳諧の独自性をはっきりとさせ、しかも、連歌と並ぶ文芸として俳諧を世に認知させることは非常に難しいことだった。貞徳の句に見るその努力 こうした中で、貞徳が、俳諧の下品な部分を切り捨て、俳諧の俗な部分を残し、俗語、漢語などの俳言をもって俳諧の特徴としたというのは、俳諧の存在をはっきりさせる重要な行為であった。これによって俳諧は猥雑な下品さから脱却できるとともに、俗性を持った一つの文芸としての輪郭を明らかにすることができた。そして、言い捨てに終わらず、面白いものができれば後世へ向かって書き留められるということが一般化したのである。 ただ、俳言というのは和歌や連歌で使わない漢語、俗語であるから、平へい板ばんに使っていたら詩情が生じにくい。和歌や連歌では雅な言葉を使うから、あるがままを詠めば、そのま