ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

31 | 第一章 芭蕉までの一五〇年の歩みを見せる。卯木の花は白く一面に咲いて雪のようだから、雪も見せる。そして、ウツギという語の中にツキという音が入っているから、月もあるというわけだ(この月については、ウツギという発音が月の名である卯う月づきに通うからだという解釈もある)。紅梅やかの銀公が唐から衣ごろも   貞徳 銀公とは漢の武ぶ帝ていの妃きさきの名である。銀公が梅の花を愛し、その袖の香りが梅花にとどまったから梅は今でも良い香りを発するのだと言われている。だから、紅梅を見ていると銀公が思い浮かび、紅梅の艶あでやかさは、中国の衣装を身につけた銀公の美しい姿をも連想させるのだ。この句は銀公という外国人の名を取り入れているところが俳諧なのである。七夕のなかうどなれや宵よひの月   貞徳「仲人は宵よいの口」という言葉がある。結婚式が行なわれる場では新郎新婦を囲んで宴会が催されるが、そのとき仲人がお酒やめでたさに酔っていつまでも腰を据えていたら、新郎新婦にとっては迷惑な話である。そこで、仲人の心得として、宵の口に宴席を辞して、新郎新婦を二人だけにしてあげるべきだという意味の言葉である。 さて、七夕とは、天上世界において牽けん牛ぎゆうと織しよく女じよが年に一度の逢おう瀬せを楽しむ日である。そのときに、月がいつまでも照り輝いていては、牽牛と織女にとっては迷惑なことだろう。ところが、七夕の日である七日の月は早い時間に昇り、早い時間に没する。だいたい陰暦七日の月の入りは九時半頃である。つまり、仲人にふさわしい行動なのだ。宵の口に