ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

35 | 第一章 芭蕉までの一五〇年の歩み池いけの皆みな鴨かもか真ま鴨がもか浪なみの景けい   松まつ江え重しげ頼より これは回かい文ぶんになっている。つまり、上から読んでも下から読んでも同じである。古典の文章では濁音記号はほとんど使うことがなく、意味の上から濁にごるか澄むかという判断をして読むので、これを逆に読む場合も清濁は読むほうが決めるのだ。貞門派の重鎮・松まつ江え重しげ頼より 貞門派の作者で注目すべきは、松永貞徳を別にすると、松江重頼と安やす原はら貞てい室しつである。 そのうちの一人である松江重頼(一六〇二?一六八〇)は、後に維い舟しゆうと号した人である。俳諧撰集である『犬えの子こ集』や、俳諧撰集と俳諧辞書を兼ねたような独特の書の『毛け吹ふき草ぐさ』を編纂した才能豊かな人で、その門下から池いけ西にし言ごん水すい、上うえ島じま鬼おに貫つらなど談だん林りん派を代表する俊才を出した。このたびはぬたに取りあへよ紅も み葉ぢ鮒ぶな   重頼 これは貞門俳諧によくある古歌のパロディだ。百人一首に入っていて有名な「このたびはぬさも取りあへず手た向むけ山やま紅葉の錦神のまにまに」という菅原道真の歌をもじっているのである。紅葉鮒は琵び琶わ湖こにいる鮒で、秋になるとひれが紅色になる。それを酢す味み噌そであえるぬたで食べようというわけだ。最小限の語句の変更で元の歌とは意味が大きく変わり、卑俗なものになってしまう面白さということだ。