ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

37 | 第一章 芭蕉までの一五〇年の歩み 花盛りの吉よし野の山やまにおいて、寺院の建物が木の間に一つ見えているのだ。貞門風の言葉遊び的な手法は使わず写実的に吉野を描いている。「花は芳野」というのはいささか大上段に振りかぶった感じだが、情景はよく浮かび上がる。巡礼の棒ばかり行く夏野かな   重頼 深く草が生い茂っている夏野を巡礼の列が行くのだ。巡礼の姿は草に隠されて、持っている棒だけが進んでいくように見える。「棒ばかり行く」というところに特異な表現を求める意識が少し見えるが、ほとんど気にならない。むしろ、ほのかなユーモアを持ってこの表現は受け取れるだろう。夏野の草深さが、把握の鋭さによってリアルに表現されているのであり、芭蕉などの次世代につながる写実的な句と言ってよいだろう。 重頼の句は、典型的な貞門風の句も多いのだが、そこに留まっていない。言葉遊びで事足りたとはせず、何か表現したい気持ちがあり、それを盛り込もうとしているのだ。剛ごう愎ふくで敵も多かったと伝えられる人物だが、後の俳風を引き出す上で大きく働いている。もう一人の重鎮・安やす原はら貞てい室しつ 貞門派の作者では、もうひとり安原貞室(一六一〇?一六七三)も重要な人物である。貞室には喧嘩早い策謀家と評される一面があり、若いときに松江重頼と激しく論争をしたり、貞徳没後にはその後継者の地位を狙っての行動を取ったりした。そのため同門他門と