ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

二 戦国以後――松永貞徳と貞門俳諧 | 38の不和衝突をくり返したが、俳才にすぐれ、貞徳一門の大選集である『玉ぎよく海かい集』など、多くの編著書を残した。 後進の芭蕉にとっても貞室は気にかかる存在であったらしく、しばしば貞室に触れている。『おくのほそ道』では山やま中なかのところで、「洛らくの貞室、若輩のむかし、爰ここに来きたりし比ころ、風雅に辱はづかしめられて」とここでのエピソードが語られているし、『鹿か島しま詣もうで』の冒頭では「らくの貞室、須磨のうらの月見にゆきて」とあって、貞室の句が引用されている。また、『笈おいの小こ文ぶみ』では花の吉野に三日留まりながら句ができなかったことを述べた部分で、「かの貞室が是これは??と打うちなぐりたるに、われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとぢたる、いと口をし」と、貞室の句に触れている。『鹿島詣』で芭蕉が引用した句は(芭蕉は少し間違えて引用しているが)次の句である。松にすめ月も三五夜中納言   貞室 この句は須す磨まへ月見に行ったときの句で、そのむかし須磨に流された中納言在あり原わらの行ゆき平ひらと、その愛した女性である松まつ風かぜを思い浮かべている。「松にすめ」は、月よ松に澄めの意と、中納言よ松風とともに住めとの意を引っかけてある。そして、その月が三五夜(十五夜)であるというのだが、白はく居きよ易いの詩の「三五夜中新月色 二千里外故人心」を利用して、「三五夜中」の「中」から「中納言」へつなげて、行平への呼びかけにしてある。ずいぶんと技巧を凝こらした句だが、出来上がったものはリズミカルな良い調子を持ってい