ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか
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なぜ芭蕉は至高の俳人なのか
二 戦国以後――松永貞徳と貞門俳諧 | 40がし」という言葉の中に、波の縁語である荒あら磯いそが隠されている面白さだ。いざのぼれ嵯さ峨がの鮎食ひに都みやこ鳥どり 貞室 これは京で親しくした人が武む さ蔵しの国に久しく住んでいて、隅すみ田だ川がわを見に来いと誘われて行ったときの句である。隅田川の都鳥は『伊い 勢せ物語』で有名だ。また、嵯峨の鮎は京の名物である。つまり、武蔵の友人を都鳥になぞらえて、今度は京へと誘っているのだ。空はれてちれる木この葉はやひでり雨 貞室 散る木の葉が晴れた空いっぱいに舞っていて、日ひ照でり雨あめのようだと言っているのだが、太陽に輝く枯葉の数の多さや、乾燥した感じなど冬の雰囲気がよく出ている。涼しさのかたまりなれやよはの月 貞室 むかしから文学の大切な素材として詠まれてきた月を、俗な見立方で滑稽味を出すほうへもっていくのはこの時代の俳諧の特徴だが、涼しさの塊という表現は珍しく、夏の夜空に輝く月がいかにもそこだけに涼しさがかたまっているように見えて、実感的だ。 貞室の句は貞門の一人として言葉遊び的な要素もあるが、そこに留まらず、そうした技巧の上に自分の表現したいことを出している。こういうところが、後の芭蕉などから親しまれたのかもしれない。