ブックタイトルなぜ芭蕉は至高の俳人なのか

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概要

なぜ芭蕉は至高の俳人なのか

5 | はじめにとしたい。それが日本人の教養としての俳句理解につながる。 なお、芭蕉の時代には俳句という言葉は使われず、発句(俳諧の発句)と言った。五七五に七七を付け、それにまた五七五を付けるというようにして続けていくのを連歌と言うが、その連歌の中で、雅みやびでない言葉を使ったり卑ひ俗ぞくな内容であったりしたものを俳諧の連歌と言った。その俳諧の連歌(普通にはただ俳諧という)のいちばん初めの五七五が発句と呼ばれるもので、独立して創作されたり鑑賞されたりする。これが今日俳句と呼ぶものの祖である。だから、芭蕉など古典作者の句は発句と呼ぶのが正しい。 しかし、今日、一般に俳句と言った場合、古典の俳諧の発句まで含めて言っているので、ここでは俳句という言葉を芭蕉およびそれ以前の作品にまで広げて使うこととする。 また、俳句の書き表わし方は、表記自体に意味のあるものを除き、読みやすい形に直してある。そして、大阪は江戸時代の表記では大坂だが、これも、引用の中に出てくるものは別として、現代の表記法に統一してある。 今までも俳句が行き詰まると、しばしば芭蕉に帰れと言われてきた。それに応え得る役割をこの書が果たし続けてくれれば良いと思う。平成二十六年七月十五日 大おお輪わ靖やす宏ひろ