ブックタイトル謹訳 源氏物語 私抄――味わいつくす十三の視点

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概要

謹訳 源氏物語 私抄――味わいつくす十三の視点

12もし、もしも、この桐壺の更衣という人が現われなかったら、弘徽殿とその実家右大臣家の行く手に立ちはだかる者は誰一人なく、そのままこの一の御子が立りつ太たい子し して、やがて皇位に即つく、それは既定の事柄にほかならなかった。そしてもしそうであったなら、弘徽殿としては、なにも懊おう悩のうすべきことはなく、ただ安閑として一の御子の成長を見守っていればよかったのである。ところが、この洋々たる前途に、俄にわかに暗雲を齎もたらしたのが、ほかならぬ桐壺更衣とその子、光源氏であった。こうなれば、弘徽殿としては、もっとも望ましいことは、光源氏を亡きものにすること、それが叶かなわなければ、すくなくとも内だい裏り から追い出すことであったろう。この時代、人を亡きものにすることは、さまで難しいことではなかった。もっとも手っ取り早い方法は、呪じゆを以もつてすることである。現代では呪などは迷信のように思われて、そんなことで実際に人の生き死にが左右されると思う人はごく少ないかもしれないが、乳幼児の死亡率は過半を超え、なおかつ産さん褥じよくに落命する母親も珍しいことではなかったし、また栄養学の知識も疫病への治療法もほとんどなかった時代にあっては、じっさいに突然わけもわからずに死ぬということが日常茶飯であったのだ。そうして、それが物ものの怪けの仕業であったり、呪じゆ詛そ の結果であったり、そんなふうに考えるのは、すなわち平安時代の人々にとっての歴れきた