ブックタイトル帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

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概要

帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

17第一章 日本人にとっての神道と海の神たちの批判にさらされたのである。そして防衛庁(当時)の海上幕僚監部広報室から、「艦長は休暇を取って私人として参加したと聞いており」「『御神体』を分けてもらったという認識はない」「公金も支出しておらず、問題ない」(「信濃毎日新聞」平成十四年二月二日朝刊)と説明する事態を引き起こした。なぜ、このようなことになったのだろうか。そもそも我が国には船ふな霊だま信仰と呼ばれるものがあり、古来たとえば漁船には操業の無事や大漁を願って神社から授与された神札を祀る習慣が存在した。そして明治以降においても国防の任にあたる軍艦は、神社の御祭神を分霊してもらって艦内の神棚に祀る習慣があった。この神棚を通称「艦内神社」という。艦長室や機関室、食堂などといった乗員が多く集まる場所に設置されることが多く、のちに御祭神は天皇陛下の御真影・軍人勅諭とともに安置された。詳しくは第三章で詳述するが、大正九年(一九二〇)には神宮が公に戦艦「伊勢」に神宮別わけ大たい麻ま(神宮での特別な詮せん議ぎのもと、御祭神である天照大御神を永久に奉斎するために授与される)の奉斎(艦内神社をお祀りする)を認める。これにより、艦内神社は内務省神社局によって「奉斎所」として扱われるようになる