ブックタイトル帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

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概要

帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

18のだ。おもに地名を由来とする艦名をもつ軍艦は、一般家庭で言うところの〝氏うじ神がみさま〟としてその地域ゆかりの神社の加護を受けていた。たとえば戦艦「大和」は旧大やまと和の国くに(奈良県)の大おおやまと和神社から奉斎を受けていた、などである。前述の有明山神社は戦前、帝国海軍の駆逐艦「有明」に祭神を分霊した。昭和十年(一九三五)に竣工した「有明」も有明山神社の多くの神々にまもられつつ、大東亜戦争(いわゆる太平洋戦争)においてもインド洋作戦・珊さん瑚ご海かい海戦・ミッドウェー海戦・ガダルカナル戦などを戦い抜いた。明日の運命も知れぬ厳しい戦場では、艦内神社の神様の存在は心強かったに違いない。そして現代における護衛艦「ありあけ」は、帝国海軍の駆逐艦「有明」の名称と武勲を受け継ぐ存在となるはずであった。ところが現代の海上自衛隊では、公おおやけ の立場でそうした神々にまもってもらうことが、ダメとされているのである。その根拠は現行憲法である日本国憲法の第二十条(国家機関による宗教的活動の禁止)と第八十九条(宗教組織への公金支出の禁止)であるという。日本人が自然に頭を下げて神々を拝み、手を合わせる習慣の延長上にあるともいえる艦内神社は、今や日陰者扱いされていることになる。