ブックタイトル帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海
- ページ
- 34/40
このページは 帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海 の電子ブックに掲載されている34ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海 の電子ブックに掲載されている34ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海
32の対外的な航海の目的地は古来、朝鮮半島と中国大陸であった。飛あ す鳥か時代~平安時代初期における遣隋使/遣けん唐とう使しとは、当時最高レベルの官僚・知識人たちが命がけで渡航を試みたものであった。遣唐船に常設されていた「神殿」日本の将来を担う人材が海上で遭難すれば、国家にとって多大な損失となることは言うまでもない。莫大な経費に加えて、派遣先である唐の衰退も考慮された結果、寛かん 平ぴよう六年(八九四)に菅すが原わらの道みち真ざねの建議で、ついに遣唐使が廃止された。最後の遣唐使となった承じよう和わ五年(八三八)のものは、往時における航海安全祈願の集大成といった様相を呈している。渡わた部べ真ま弓ゆみ『神道と日本仏教』(ぺりかん社、一九九一)から引用する。「承和三年(八三六)二月一日、天神地祇を北きた野の(郊こう野や)に祭ることから始まる。このとき、大使常つね嗣つぐ(引用者注・遣唐大使に任命された藤ふじ 原わらの常嗣)は祝詞を奉上し、官幣・私幣を神部および大使以下各人が奉った。以下、二月七日、遣唐使は加か茂も大神社に奉幣し、四月