ブックタイトル帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

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概要

帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

34神殿(神棚?)が、艦内神社の原型であったのかもしれない。近代日本の海軍・軍艦と形は違えど、彼らも国を背負って出航していった。遣唐使の目的は、中国の(当時は)先進的な技術や文化、そして特に僧侶にとっては仏教をベースとした学問や修行である。特に大旅行記『入につ唐とう求ぐ法ほう巡じゆん礼れい行こう記き』を著した円えん珍ちんはのち比ひ叡えい山延えん 暦りやく寺のトップである天台座主、すなわち日本の仏教の国家的指導者となった。ここでもうひとつ指摘したいのは、そうした僧侶たちにとってさえ、航海中の心の支えは神々であったということである。この頃の日本人の信仰は、日本古来の神々と外来宗教である仏教とを結びつけたものとして「神仏習合」と呼ばれる。奈良時代には寺院に神が祀られたり、先ほどの引用文に出てきた神宮寺が神社の境内に建てられたりもした。仏教全盛の時代であっても、日本のあらゆる精神文化の根本には神道があり、仏教・儒教・道教などの枝葉をしっかりと支えてきたのである。そして世間一般でどのような宗教の流は行やりすたりがあれど、海へ出てゆく者たちの(神道の)守り神は船内に祀られ続けたのであった。