ブックタイトル帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

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概要

帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

4海軍(以下「帝国海軍」)は、今もって世界最大の戦艦である「大や ま和と」「武藏」を建造したが、「武藏」は我が国が最後に造った戦艦となった。皇居所在の武蔵国から艦名をとった戦艦「武藏」の艦内には、大宮の氷川神社から分霊された神棚が祀られていた。これを艦内神社といい、たとえば戦艦「武藏」の場合は「武藏神社」と呼ばれた。継続的に時間的/金銭的コストをかけて研究し、学術論文も書いているという意味では、私は、ほぼ世界唯一の艦内神社研究者かもしれない(本来の専門は別なのだが……)。そして艦内神社についての取材で二年前に氷川神社を訪問して以来、懇意にさせていただくようになった。その過程で以前は「武藏」の慰霊祭が氷川神社で行なわれていたのに、ここ二〇年ほど行なわれなくなっているという話も聞いた。以前の慰霊祭はかつて「武藏」を建造した三菱重工業主催であったため、それ以降神社側もあまり気に留とめていなかったとのことである。しかし世界最大にして日本最後の戦艦の守り神であったということは、実はスゴいことではないか。紆う余よ曲きよく 折せつを経て、昭和十九年(一九四四)、「武藏」が沈没した十月二十四日に、まずは地元の氏うじ子こ(氷川神社を氏神様として崇敬する人たち)を中心に集まって、研修