ブックタイトル帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

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概要

帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

5はじめにという名目で〈艦内神社勉強会〉が開催された。そこで大変僭せん越えつながら私が「武藏」そして艦内神社について講演をさせていただいたのだが、平日昼間であるにもかかわらず前大宮市長(さいたま市として合併する前の最後の市長)はじめ一〇〇名近くの方が集まってくださった。当日それに先立って奉告祭が行なわれ、代表参拝させていただいた。神社側の意向で、近々「武藏」の慰霊碑も建立される予定であるという。七〇年前に沈没した「武藏」があらためて現在とつながったのである。そして同年十一月二十日には、京都府八や幡わた市の石いわ清し水みず八はち幡まん宮ぐうで〈戦艦山やま城しろ起工百周年奉告祭〉が行なわれた。一般には「大和」「武藏」ほど有名ではないかもしれないが、「山城」は戦艦「扶ふ桑そう」型の二番艦(同型艦のうちで二番目に建造されたもの)。「扶桑」「山城」は明治維新からわずか五〇年にして、我が国が初めて建造した、当時〝世界最大の戦艦〟であった。横須賀海軍工こう 廠しようで「山城」の建造が始まったのがちょうどその日の一〇〇年前、大正二年(一九一三)十一月二十日。「扶桑」「山城」の守り神であった石清水八幡宮には、山やま城しろの国くにに鎮座し武神として崇敬を集め、鎌倉時代の元げん寇こう(モンゴル襲来)の際に本殿から矢