ブックタイトル帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

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概要

帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

6が飛び立って神風を起こしたという伝承がある。また天あま照てらす大おお御み神かみを祀る伊い勢せの神宮(以下、特に断りがない限り「神宮」とは伊勢の神宮を指すものとする)とともに、皇こう祖そ神しん(皇室の祖とされる神々)を祀る代表的な神社として、古来〈二に所しよ宗そう 廟びよう〉と称されてきた特別な神社でもある。奉告祭には「武藏」が沈んだのと同じレイテ沖海戦で、旗艦「山城」以下ほぼ全滅した西にし村むら艦隊の重巡洋艦「最も上がみ」艦載機搭乗員であった加か藤とう 昇のぼるさんも参列した。「戦闘が始まって飛行甲板で見み張はりをやっていましたら、敵が発射した多数の魚雷が向かってきました。高角砲と二五ミリ機銃で魚雷を攻撃しますが、次々に味方に命中していきます。『山城』が爆発して、艦橋が崩れ落ちた光景は今でもハッキリ覚えています。出撃前には『あんな旧式で鈍足の戦艦と一緒に行かされたら困る』とみんな不満を漏もらしていましたが、『山城』『扶桑』が敵の攻撃を受け止めてくれたお蔭で我々は助かったようなものですね……。今となっては感謝の気持ちしかありません」と戦闘の惨状を想そう起きしつつ加藤さんは感慨を述べる。奉告祭のきっかけとなった艦内神社調査のよしみにより、私も加藤さんと一緒に代表参列させていただいた。「レイテ」といえば、まさにその頃台風三〇号で多くの死者・行方