ブックタイトル帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

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概要

帝国海軍と艦内神社――神々にまもられた日本の海

7はじめに不明者を出したフィリピンの島である。奉告祭の最中、神前に掲げた「山城」の往時の写真が、何の具合か地面に転げ落ちるハプニングがあった。二〇〇〇名近い乗組員のうち生存者わずか一〇名という「山城」が、何かを語り掛けてくれているような気がしたものである。今の若い世代にとってみれば、七〇年も前に沈没した軍艦や乗組員たちを「慰霊」「顕けん彰しよう」すると言ってもピンとこないかもしれない。この場合「慰霊」とは、国家のために戦死(戦争による病死・自決を含む)した方を今生きている我々が慰める(鎮める)こと。「顕彰」とは、彼らの功績や想いを同じく我々が広く語り継ぐことである。もちろん「慰霊」「顕彰」のためには彼らが戦った戦争自体がどんなものであったかを知らなければならないし、伝えるためには場合により我々自身の生き方に反映させることも必要であろう。戦った先人たちと向き合って、我々にもちょっとした努力が求められるのである(それもあって、戦後の若い世代には敬遠されてきたともいえよう)。戦後しばらくは靖やす國くに神社や各地の海軍墓地、艦内神社ゆかりの神社などで軍艦そして戦没者/物ぶつ故こ者の慰霊祭が多く行なわれていた。しかし関係者の高齢化により事務局や実行委員会が維持できず、すでに継続が断念された例も多い。今現在二〇代の日本人の若者な