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概要

日米開戦の正体

51 第一章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?「日本は百円しかないのに一万円の買い物をしようとするのですから」は若干誇張気味ですが、日米間では経済的に一対一〇くらいの格差はありました。一九四一年一月五日、日本製鉄の渋しぶ沢さわ正まさ雄お氏が東久邇宮殿下に「日本は現在、製鉄の全能力をあげても、年産額は、やっと五百万トンであるが、(略)アメリカは六千万トン」と説明しています(『一皇族の戦争日記』)。日米戦争は結局のところ、海軍の戦争です。かなりの海軍関係者はこの戦争は勝てないと見ています。一人は、海軍大臣から一九四〇年に首相になった米よ内ない光みつ政まさ元海相首相です。彼は一九四五年十一月「米国戦略爆撃調査団」に対して「私は当初から、この戦争は成算がないものと感じていました」と述べています(『開戦の原因』サンケイ新聞社出版局)。同じく、海軍軍令部長を経て、侍従長のときに二・二六事件で襲撃された鈴すず木き貫かん太た郎ろう(一九四五年四月七日から八月十七日まで首相)も一九四五年十一月「米国戦略爆撃調査団」に対して「開戦当初から、ちょっとの間は、うまくことは運ぶかも知れないが、結局の所は、日本は負けるだろう─というのが、海軍的見地での私の観測でありました」と述べています(同前)。◎鈴木貫太郎(すずきかんたろう/一八六八‐一九四八)海軍軍人、政治家。海軍大学校卒。日清戦争と日露戦争に従軍。連合艦隊司令長官、海軍軍令部長などを経て一九二九年、侍従長兼枢密顧問官に就任。二・二六事件で襲撃され、侍従長を辞職する。昭和天皇の信任が厚く、四五年四月に首相となり戦争終結を図った。ポツダム宣言受諾後、総辞職。写真協力/国立国会図書館「近代日本人の肖像」